まちのおとレポート

夢見ヶ崎に刻まれた大昔からの歴史とは?~近現代から古墳時代まで~

幸区内にある「夢見ヶ崎」という地域をご存知でしょうか?
加瀬山に位置している夢見ヶ崎動物公園が有名で可愛らしいレッサーパンダやペンギンなどを見ることができます。また、春には桜、初夏には紫陽花を楽しめることができ、キッチンカ―による飲食などの販売も定期的に行われています(※現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため見合わせ中)。
眺めの良い展望デッキから街を一望することもでき、天気が良い日には蛭ヶ岳や雲取山、三宝山に富士山といった山々も見ることができます。

さて、そんな「夢見ヶ崎」という名前が何故付けられたのでしょうか。
実はとある武将が見た夢に因んで付けられたそう。その武将とは太田道灌。享徳の乱、長尾景春の乱で活躍したり、江戸城を築城したりとその名を刻むほど活躍しました。
現在の加瀬山に城を構えようと考えた道灌、試しに野宿したところ、白い鷲が兜を掴んで飛んで行く夢を見てしまい、不吉だと感じて築城するのを辞めたそうです。この逸話から「夢見ヶ崎」と名付けられました。この逸話の後日談として、この夢を見た道灌は園内にある天照皇大神に訪れた際、東北の空に縁起の良い丹頂鶴が舞う夢を見てその地に江戸城を築いたという言い伝えもあるそうです。

室町時代の逸話が残る夢見ヶ崎の歴史は、更に昔、古墳時代にまで遡ることができます。
この加瀬山、別名白山(はくさん)古墳とも呼ばれ、全長87mの前方後円墳がありました。これは夢見ヶ崎動物公園の広場そのものが古墳と言ってもいい程の大きさで、実際に私達は古墳があった場所を歩いていることになります。
さらに、11基もの古墳や塚も築かれ、その内いくつかを現在も見に行くことも可能です。

第三古墳
加瀬山第三号墳

他にも秋草文壺という壺や、三角縁神獣鏡という鏡など様々なものがこれまでに出土されました。この秋草文壺は平安時代後期に火葬骨を入れるために用いられていたそうで、発見時入っていた遺骨は供養され、再び埋葬されました。
なぜこの地に埋められていたのか、誰が納められていたのかなど未だに解明されていないことが多いそう。現在は国宝として東京国立博物館に寄託、展示されています。川崎市内初の国宝ですので、是非一度見に行かれてはいかがでしょうか?

古墳以外にも夢見ヶ崎動物公園を降りたところにある日吉合同庁の近くには、南加瀬貝塚(南加瀬は夢見ヶ崎に隣接している地域)が1900年代の発掘調査で発見されました。貝殻の90%がハマグリであったこと、縄文時代と弥生時代の二つの時代の貝塚ということや加瀬山周辺は海に囲まれていたことなどがわかっています。

南加瀬貝塚の跡地

また広場には存在感を放つ大きなモニュメントも建っています。これは戦地で亡くなった方や、川崎は重化学工業の町として発展していたことから空襲の対象となり、その際犠牲となった方々が祀られています。

夢見ヶ崎にはこのように月日が経ち、多くのものが形を変えていく中でも、大昔からの歴史を物語るものが多く残されています。今後新たに歴史的なものが発見されたり、新たに作られたりとこれからも歴史を刻んでいくことでしょう。みなさんもお住いの地域の歴史を調べることで何か新たな発見が得られるかもしれません。

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川崎市 建設緑政局緑政部夢見ヶ崎動物公園
〒212-0055
川崎市幸区南加瀬1-2-1
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■取材レポート:伏見彩
■取材日:2022年8月4日

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